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民主主義と個性の国カナダ:アルバータの公立小学校見聞録 (寄稿:田中俊弘、関東地区ニューズレターNo.5, Nov. 2011)

民主主義と個性の国カナダ:アルバータの公立小学校見聞録

田中 俊弘

 昨夏より1年間の在外研究で、家族と共にアルバータ州エドモントンに滞在した。研究面については、今年3月のJACSニューズレターで報告したので、ここでは、子供たちの小学校に関する話を書かせていただきたい。
 我が家の2人の子供たちは、小5と保育園年長の夏休み中にエドモントンに行き、そのまま9月から小6(Grade 6)と小1(Grade 1)の授業に参加した。住まいから徒歩2分の公立小学校ブランダー・ガーデンズ(Brander Gardens School)は、小さな、雰囲気の良い学校だった。
 毎朝8時43分の始業ベルで、子供たちは校舎入り口の前に整列し、そこに担任の先生が登場して、皆を引き連れて教室に向かう。生徒は、それより早く到着することは期待されていなかった。新学期初日は、緊張する長男を伴って、他に誰も来ないのを訝りながら、開始20分前から教室で待っていたが、先に教室にいたこちらの方が、間違っていたわけである。
 北米ではおそらく一般的なのだろうが、どうやら教室は、各教員に属している感覚で、生徒はそこに1年間招待されたゲストのようだ。多くの教員が、基本的に同じ学年の生徒を同じ教室で毎年教え続けており、各自が部屋を自分色にアレンジしている。たとえば、アイスホッケー好きのある6年生担任の教室には、NHLスター選手のポスターなどの趣味的な装飾に混じって、6年生の授業で使う本が置かれ、地図や教材ポスターが掲示されていた。
 授業は、1年生から6年生まで、同じ時間枠で行われる。スクールバスで登下校する生徒も多いため、授業開始前や放課後の活動もない。午前は、90分授業(30分×3コマ)の後で15分のリセス(休憩、Recess)、そして60分授業で昼食となる。午後も90分授業、リセス、60分授業で1日の日課が終わる。毎週木曜日は早帰りの日(Early Dismissal)で、午後は90分授業のみで下校する。昼は、弁当を持参しても自宅に帰って食べてもかまわない。弁当の場合は、ランチ・スーパーバイザーへの費用が発生するのが、我々には不思議な感覚であった。弁当やリセスには、甘いものやスナック菓子やジュースが付き物で、日本の学校は何とも禁欲的に感じられた。
 リセスは外遊びが基本だが、気温がマイナス29度以下(あるいはマイナス18度でも風速が毎時16キロ以上)の日は、外遊びは認めない方針だった。この温度設定はすごい。実際に出るかどうかはともかく、マイナス28度でも、風がなければ子供たちは外遊びできるのだ。
 小6は3クラスで、そのうち1つがフレンチ・イマージョンだった。長男が「英語イマージョン」を経験したクラスは、昨年度は例外的に人数が少なかったようで、わずか15名の生徒しかおらず、その大半がカナダ国外生まれであった(小6にかぎらず、フレンチ・イマージョン学級と比べて英語学級は非白人率が高い印象である)。自身もポルトガル出身で、カナダに来た時には、フランス語はできたが英語は全くできなかったという担任は、息子の置かれた状況に理解を示し、母親が授業に同行するのを認めてくれた。間もなく、妻が他の用事で学校に行かないと、「昨日は何で休んだの?」と担任から問いただされるほど、教室にいるのを当然視されるようになった。卒業式の日には、妻は、息子のクラスメイトから、「ミセス・タナカも一緒に卒業するの?」と、真顔で質問されたそうである。学校に父母がボランティアとして関わるのは、あちらでは普通にせよ、親が子供に教室まで付き添うのを認めてくれたのは異例だったようだ。知り合いの子供が通う市内の別の学校では、日本語が分かるボランティアを探していたが、親の教室参加は認めない方針であった。この種の判断が学校(あるいは担任)任せなのは面白いし、我々は幸運だった。
 そのことにかぎらず、学校や教員の裁量の大きさを感じる機会が多かった。学校の休日さえも、――もちろん祝日は全国的に休みだが、それ以外に――学校が定める休み(PDデイ〔Professional Development Day〕)が年に数日あった。3連休の週末直前の金曜日をPDデイにして4連休にするのか、ハロウィンの翌日を休みにするのかなど、学校毎の判断のようである。校外学習の行先決定と予約も教員に委ねられており、小1クラスの担任からは、6月の校外学習を、すでに1年前に自分で予約したが、申し込んだ教育プログラムのうち1つしか参加が認められなかったといった話も耳にした。
 学校毎の資金調達も盛んであり、おそらくそれは、州から降りてくる資金が限られる裏返しでもあろうが、色々な工夫がみられて興味深かった。子供が授業で描いた絵をグリーティングカードにして親たちに販売するのも資金調達の一環だった。昨秋に新しい遊具施設が校舎脇に完成したが、それも(ある程度は)独自に資金を集めた成果であり、冬のクリスマス・コンサートの日には、貢献した人たちの名前が校長から紹介された。学校の、そして教員の裁量の大きさが、カナダ(少なくともアルバータ州)の特徴なのであろう。
 どこまでが学校の裁量かは確認していないが、意味不明の行事(?)もあった。「明日はPJデイなので、お気に入りのヌイグルミ(stuffy)を持参しても良い」と、次男が黒板の字を一生懸命写して連絡ノートに書いてきた時には、意味が分からず首を捻ったが、それは、先生も生徒も、皆がパジャマで登校する「パジャマの日」だと妻から種明かしをされた。真冬の「ビーチ・デイ」には、さすがに水着ではないけれど、コートの下にビーチに行きそうな装いで通学した。特に何かをするわけではなく、ただパジャマやリゾート・ファッションで過ごす行事たち。「クレイジー・ヘア・デイ」や「クレイジー・ハット・デイ」も、ただ変な髪型をしたり、変な帽子をかぶるだけであった。「キャリア・デイ」には、将来なりたい職業の格好で学校に行き、さすがにその日は、何の服装か(何になりたいのか)を尋ねられたが、それらは、学校生活が単調にならない工夫の一環だったのだろう。
 肝心の勉強についても、ひょっとすると教員の自由裁量ではないかと感じる面が多々あった。宿題の分量は、学校や先生によって全く違う(うちの長男のクラスは例外的に多かった)らしいし、時間割も、少なくともうちの子供たちの学級では、担任以外が教える体育や音楽を除けば、ゆるやかにしか決まっていなかったようだ。宿題などで大方の予想はつくものの、多くの場合は当日の朝になって、その日の時間割を知らされたし、朝の宣言とは違った科目をやる日もあったという。科目毎の授業時間総数が決まっていないのか、守っていないのか、それとも、実は守っているのかさえも分からない。長男の担任は、講読(Reading)と社会(Social Study)が好きな先生だったようで、やたらとそれらの授業ばかりやった印象があるのは、気のせいか。
 小6の社会は、民主主義の理解に重点が置かれていた。さまざまな政体の中で、民主主義がいかに優れているかという話(しかし議論は必ずしもうまくいかず、非民主主義国出身の生徒が、そちらの体制が優れていると譲らなかったりする。そして、この種の議論に「落とし所」を求めないのも、あちらの学校教育の特徴のようだ)や、ギリシアの直接民主主義の話、そしてカナダ連邦政府、州政府、及び市町村がどのような形で民主主義にかなう形になっているかを学び続ける。先住民は禁漁期間中も漁が認められている事例が説明された後、「それが民主主義をどのように体現しているか」という問いかけが宿題になると、子供ではなく親が頭を悩ますことになった。少数者である先住民の権利がどのように「特例扱い」されているかではなく、「民主主義を体現」しているかという問いの「正解」は何か、先生はどのように話をまとめるのか、…妻が興味津々で授業に臨んでも(私も興味津々だったが)、結局よくわからないままで終わる。結論よりも、各々が自分の意見を述べることに重点があるのだ。日本の教育を受けてきた私にはどうもすっきりしないが、なるほど、こうして討論能力と価値観が子供のうちから作られていくのかと感心させられた次第である。
 ところで、カナダは「メイク・ア・ディファレンス」を強調する国でもある。日本語に訳しにくいこの言葉を、これまで何度耳にしただろう。卒業式の日には、校長先生もこの言葉を祝辞で繰り返していた。「みんな違ってみんな良い」(金子みすず)とか「もともとが特別なオンリーワン」(SMAP)などと言いつつ、基本的には同質性を求める日本から来ると、これがカナダ社会の一番大きな特徴に見える。そこでは、自分の個性を示せるよう求められるのと同時に、全く違った価値観を容認することも重視される。カナダ社会を美化しすぎるつもりはないが、持ち物が少し違うだけでもイジメの対象になりうる日本とは、その点で対極にある。「多文化主義の危機」が年次大会のテーマにまでなる昨今だが、個性や差異を尊重する社会は、「よそ者」にも暮らしやすい社会である。息子たちが、通い始めて間もなく「言葉が通じなくても、周りに受け入れられている気がする」と口にするようになり、最後まで元気に通ってくれたのは、親としては何ともありがたかった。日本に暮らした経験を話してくれたカナダ人の知人が、「しばらくは皆が遠巻きに自分を見るばかりで悲しかった」と漏らしていたのとは対照的である。「英語ができないコウスケ」を、小6のクラスメイト達は、いつも進んで助けてくれたし、そうすることが誇らしげであった。もちろん、妻が一緒に学校にいた影響も大きかったに違いないが、カナダから日本に来るよりも、日本からカナダに行く方が、おそらく何倍もラクではないかと思う。
 日本での職を辞して生まれて初めての「専業主婦」となった妻は、基本的には長男の隣に座って授業補助を務め、時に次男が助けを求めると、そちらのクラスに顔を出す毎日を過ごしたが、しばらくして、子供たちが慣れてくると、教室に常にはりつく必要がなくなり、図書館で本の整理を手伝ったり(司書の先生の部屋でお茶をしたり)、印刷・簡易製本の補助をしたりと、様々な校内ボランティアに関わり続けた。子供たちの頑張りと合わせて、妻のそんな貢献も評価していただいたようで、知り合いの日本人大学教員や国際交流基金の職員が授業見学をしたがっているという話を持ち込むと、「今回は特別よ」と言いながら、すぐに許可してもらえたし、東日本大震災の後は、「今年は田中ファミリーが来ていたから」と学校をあげて日本の被災者のために募金した成果を、全校集会で、サプライズで知らされたりもした。被災地に折り鶴を贈るプロジェクトにも、学校ぐるみで関わってくれた。地震の時は、身内に不幸があって偶然家族で一時帰国していたのだが、カナダに戻って登校した朝には、我々が無事に戻った旨を知らせる校内放送が流れ、妻は会う人会う人にハグされたそうだ。卒業式の日に、「面白い家族を連れてきてくれてありがとう」と、他の学年担当教員からも言われたが、妻と子供たちが「メイク・ア・ディファレンス」できたからこそ、評価してもらえたのであろう。要するに、そこは自主的かつ自分らしい関与が期待される社会であり、関与すれば拓ける道も多いのだ。
 1年間、西部カナダについて、自分なりに視野が開けてきたと実感する面も多いし、研究面でも一定の進展は得られた。学務から離れて多少の「充電」もできた。それらと同時に、家族と共に暮らし、子供たちが成長する様子を見られたのも、私にとって大切な時間となった。単身で来ることも考えたが、家族で来た意味があったと心から思っている。この在外研究を可能にして下さった方々に、この場をお借りして心からお礼を申し上げたい。
(麗澤大学)

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