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クレチエン,ジャン(Joseph Jacques Jean Chr?tien 1934- )

第25代目のカナダ連邦首相で在任期間は1993年11月4日から2003年12月12日。ラヴァル大学で法学を学び、しばらくは弁護士として活躍したが、1963年には連邦下院議員に初当選し政治家としてスタートした。その後、トルドー政権では財務大臣や産業・貿易大臣など主要なポストを歴任し、特に1982年憲法の改正時には法務大臣として担当大臣として取りまとめ役を果たした。カリスマ的なトルドー首相が1984年には引退を決意し、自由党の党首交代が注目を浴びた。当時、クレティエンとJ・ターナーの二人が有力な候補であったが、ターナーが党首として選ばれた。ターナー政権ではクレティエンは副首相および外務大臣として約3ヵ月入閣した。1984年9月の連邦総選挙ではターナー率いる自由党政権は大敗した。1986年には家族との時間を大切にするという理由から、クレティエンは一時的ではあるが政界を引退した。

1980年代後半はB・マルルーニー進歩保守党政権が大きな影響力を持っており、野党たる自由党は議席も伸びず、苦しい時代をターナー党首のもとで過ごした。この中でターナーは1990年に党首を辞任し、その後任としてクレティエンが1990年6月の党大会にて選出された。しばらくは野党党首として政治活動を再開するが、1993年10月の連邦総選挙では自由党が他の政党を圧倒して勝利を収め、11月には待望の首相に就任した。4つの野党がイデオロギー的にも政策的にも対立して分断されていたこともあり、クレティエン首相はP・マーティン財務大臣とコンビを組み、財政赤字の解消や行政改革に大胆に取り組んだ。ただし財政赤字の解消のために、社会保障や医療制度が後退するというマイナス面も指摘された。連邦選挙については、1993年以降では1997年、2000年と3回連続して自由党が歴史的な勝利を収め、有権者の支持を得ることに成功した。

外交面では2001年の9・11事件を受けて、米国からイラク侵攻に加わることを要請されたが、これを拒否してカナダ外交の主体性を内外にアピールした。1995年にはケベック州の分離・独立を問う州民投票が行われ、連邦政府はこれに反対する勢力の中心として活動を展開した。しかし、後日、反分離主義のキャンペーンをする際、その費用の一部が広告代理店を経由して連邦自由党に渡ったという「スポンサーシップ疑惑」が生まれてきた。政府の広報活動費が与党たる自由党へ不正に流れたというわけである。裁判官を委員長とする『ゴメリー報告書』ではクレティン首相への責任を指摘する声も盛り込まれた。気さくな庶民派の首相であったが、強権を行使したことへの批判が残ることは確実であろう。

(加藤普章)

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