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コンフェデレーション(Confederation)

イギリス議会で制定された英領北アメリカ法(現在の1867年憲法)に基づき、1867年7月1日にカナダ自治領としてDominion of Canadaが成立したことを連邦結成=コンフェデレーションと呼ぶ。

それまで各々が責任政府を持つ別個の存在だった北米植民地を、統合へむかわせた最大の契機は、1840年代におけるイギリスでの「旧植民地体制」の崩壊であった。最大の植民地だった連合カナダ(現在のオンタリオとケベック)では、本国での穀物法と帝国特恵関税の廃止で大きな経済的打撃を受け、1860年代にはグランド・トランク鉄道の経営破綻や、南北戦争による米加互恵条約失効の脅威のため、国家的破産の危機が生じる。

連合カナダではこの危機を回避するため、またイギリス系とフランス系、保守派と改革派の対立で混乱を極めていた政治状況を打破するため、1864年に J. A.マクドナルド、G. E.カルティエ、G.ブラウンらが「大連立内閣」を形成する。彼らは同年9月に、三つの沿海植民地が「沿海同盟」結成を討議するはずだったプリンス・エドワード島でのシャーロットタウン会議に強引に参加し、すべての英領北アメリカ植民地による連邦結成を主張した。翌月のケベック会議ではニューファンドランドを含めた五植民地が連邦結成の骨子となる「ケベック決議」に同意する。

連邦結成に対しては連合カナダ内でもフランス系急進派が強く反対した他、沿海植民地住民も頑強な抵抗を示した。だが南北戦争の側圧と本国政府からの高圧的な干渉が、ニュー・ブランズウィックとノヴァ・スコシアの反対派を屈服させる。1867年に発足したカナダ自治領は、「カナダ・ナショナリズム」の所産というよりも、北米植民地を最も安価な防衛策としての連邦結成で合衆国から守ろうとしたイギリス「自由貿易帝国」政策の成果であった。カナダでの真の国家建設には、その後70年近い苦闘が必要だったのである。

(木村和男)

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