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ロワー・カナダ(Lower Canada)

セント・ローレンス川下流側のカナダの意で、1791年~1840年の間存在した英領北アメリカ植民地の1つ。合衆国独立後、北米に残った領域の再編成を企てたイギリスは、1791年に立憲条例(カナダ法)を定めて、かつての大ケベック植民州をアッパーとロワーの両カナダに分割し、各々に別の体系に基づく行政・立法の機構を承認した。

英語圏ともいうべきアッパー・カナダに対して、この地域では1774年のケベック法(Quebec Act)が定めた特殊法領域としての諸権利がそのまま認められた。即ち、カトリック教会、荘園領主制、フランス語と刑法以外のフランス慣習法等である。この分割政策は英仏両系人の融和目的にはマイナスに働き、永く民族の2元的対立の原因となった。第2次英米戦争中のロワー・カナダは、合衆国の共和主義からこの特殊地域制度を衛るためにも本国に従った。

戦後西部の秩序改善に伴い、セント・ローレンス水系の通商軸はその盛期を迎え、多量の移民も流入した。社会や思想の多様化と共に様々な問題が噴出し、それらは次第にイギリス人商人層を中心とする「城砦閥」(Chateau Clique)の、寡頭支配に対する不満へと収斂されてゆく。1837年、遂にフランス系改革派によるルイ・J・パピノー(Lewis J. Papineau)の乱が勃発。偶々アッパー・カナダでも同種の反乱が起こったが、共に簡単に鎮圧されてしまった。しかし本国は、この間の事情を調査したダラム報告に基づき、1840年「両カナダ連合法」(The Act of Union)を制定。ここにロワー・カナダの歴史は幕を閉じた。

(江川良一)

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