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トルドー,ピエールE.(Trudeau, Pierre Elliott 1919-2000)

法律家、政治家、知識人。第20代、22代首相(1968~79年、1980~84年)、司法大臣、自由党党首(1968~84年)などを歴任。モントリオール生まれ。モントリオール大学で法学を学び、弁護士資格取得。ハーバード大学MA、ロンドン大学やパリ大学などでも学ぶ。世界放浪の後で、1950年代、彼は弁護士としてモントリオールで労働問題などに取り組み、ケベック州のデュプレシ政権の政治腐敗を批判。仲間とともに雑誌『自由市民』(シテ・リーブル)を創刊し、民主化運動を展開する。その後、今度はケベック分離独立主義者やナショナリストを批判し、モントリオール大学助教授として、行政法を教えた後で、連邦主義の再構築をめざしてカナダ連邦政界へ進出する。1965年、自由党の連邦下院議員に初当選。ピアソン政権下で、司法大臣などを務めた後に、1968年カナダ首相に選出される。その後、5回の総選挙で4回勝利し、15年以上の施政を行い、戦後最長の首相在任期間を誇る。「公正な社会の実現」を訴え、人権憲章を含む憲法改正1982年)や連邦制度の改革を推進した。外交面では、1970年に米国に先駆けて、中国を承認し、1972年に「第三の選択」路線を発表し、対米依存脱却をめざす。南北問題や東西対立間題などで一定の外交的評価を得たが、対米政策は完全に成功したとは言い難い面もあった。彼は知識人としても知られ、著作物も数多い。主なものに『連邦主義の思想と構造』Federalism and the French Canadians(1968)、『アスベスト・ストライキ』The Asbestos Strike(1974)、などがある。引退後は、マルルーニー政権による憲法改正発議(ミーチレーク協定)において、ケベック州を「独自の社会」と認めることに反対する論陣を張り、改正頓挫に寄与した。

(櫻田大造)

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